定年退職

3月に誕生日を迎え60歳になり筋ジストロフィーと診断されてから20年が経ったたわけですが、同時に定年退職という大きな人生の節目を迎えました。長かったようなあっという間だったような何とも不思議な感じがします。特に筋ジストロフィーと診断されてからが早かったかなと思います。

よく子供のうちは毎日が変化に富んでいるので時間の経過が遅く感じられ、年を取るとともに毎日同じような生活をしていて変化が少ないので時間の経過が早く感じられると言われます。確かに筋ジストロフィーと診断されて特に50代になってからは、毎日帰宅後体のケアをして終わるというルーティンでしたから、早く感じられたのだと思います。

病気の進行による筋肉の減少とともに外出することも少なくなりましたし、外で飲むなんて危険すぎてできませんでした。毎日会社と家の往復だけでしたし、東日本大震災後に車通勤になってからは、まるで毎日が同じ生活だったように思います。通勤時間が往復4時間弱かかっていましたから、家に帰ってきても夕食後少しゆっくりしたら体のケアをして寝るだけの時間しかありませんでした。無理して遅くまで起きていると翌日睡眠不足で体が重くとても危険な状態になるので、早く寝ることだけを意識していました。

社会人になってからを振り返ってみると、30代半ばにその当時勤めていた会社の敷地が高速道路の予定地に含まれるという事で、急に会社が解散してしまいました。当時営業職でしたので顧客に対するフォローなどに明け暮れていましたが、同時に同業他社からも誘いがあったのですが、同じ業界にいても10年後にはまた同じ状況になると思い、他業種へ転職しよう思ったのです。そうは言ってもなかなかうまくいきません。とは言え住宅ローンはあるし働かないことには収入もないのでバイトを探し、渋谷の印刷系の店でバイトしました。

それからは毎日片道2時間かけて通いましたが、勤務時間は10:00~20:00で休みは毎週水曜日だけでした。昼休みも自己申告制なので、弁当を買ってきてサッと食べれば昼休み15分であとは働く事が出来ました。まるでブラックって感じがしますが、当時の自分は生活することだけしか考えていなかったのですごく有難く思っていました。今考えると良く働いたなぁと思います。でもその仕事でイラストレーターやフォトショップといったソフトを使えるようになったのは財産です。今でも色々な書類はワードではなくイラストレーターで作成していますし、短時間で思い通りのレイアウトで作成できるので重宝しています。逆にワードを使える人がうらやましいです。

そしてバイト先の社長と今私が今勤務している会社の先代の社長がとても親しくて、その会社が新規事業を立ち上げた時にそちらを手伝うことになり、最初は出向的な感じでしたが、最終的には転籍しました。

定年退職するまでは本社勤務でしたから車で往復4時間弱かかっていたのですが、定年退職後も嘱託として働かせてもらうことになり、会社も私の体のことを考えてくれて、通勤時間の短い工場勤務になりました。通勤時間は今までの1/3位になり、家に帰ってきてから自分の時間が増えました。もちろん家族との時間も増えたのですが、子供もいい年なので特に触れ合うという事もありません(笑)。

完全なリタイアまであと5年ですが、何もなく無事に働き切りたいと思っています。それには体のケアと大きなけがと病気に気を付けなければいけませんね。

・日常
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