突然ですが、59歳になりました(笑)。この歳になると誕生日がうれしいとかそういったことは一切ないのですが、自分は40歳の誕生日に正式に筋ジストロフィーと診断されたので、毎年誕生日が来るとその時のことを思い出してしまいます。
体の異変を感じ大学病院を受診したのが39歳の時でした。当時JRの駅にはまだエレベーターなどはなく、毎朝秋葉原駅で総武線に乗り換えるために階段を上って上のホームに上がっていました。ある時、階段を上るのが大変だと感じるようになりましたが、「体力の衰えなのかな」と思っていました。
翌年には階段を上るのに手すりにつかまるようになり、その翌年には階段の中ほどの踊り場?的なところで休まないと階段を上れなくなったのです。これは明らかに「おかしい」と思い病院を受診しようと思ったのです。
しかし近所の大きな病院に行ったところでどうせわからなくて「大学病院を紹介します」と言われるのはわかっていたので、いきなり大学病院を紹介状なしで受診したのです。
まずは整形外科を受診し色々な検査をしました。結果、整形外科的には一切問題はなく、整形外科から神経内科を紹介されました。そして神経内科を受診し、偶然私の誕生日の午後に筋電図をとりその後の診察で筋ジストロフィーと診断されました。
頭が真っ白になったまま病院を出て駅に行ったのですが、筋電図をとる時に思いっきり力を入れたせいかその反動で体中がだるく動けなくなり駅のベンチでしばし休んでいました。しかし筋ジストロフィーと診断され頭が真っ白になっていたわけですから、ベンチに座ったら色々なことが頭の中を駆け巡り何本も電車を見送っていました。
歩くのもだるく、最寄り駅まで妻に車で迎えに来てもらって家にたどり着きました。
その後入院して筋生検をしたのですが、その時担当医から「10年後には間違いなく車いすになっているでしょう」と軽く言われました。とはいってもまだ日常生活には全く支障もなかったのであまり実感がありませんでした。
その後7年の月日が流れ、日常生活にもだんだん支障が出てきたので専門病院の国立精神・神経研究センター病院(現在)を受診するために紹介状を書いてもらおうと大学病院を受診しました。しかし特に問題もなかったので7年受診していなかったのですが、大学病院のカルテの保存期間は5年という事で「カルテが残っていないので診察できません」と3時間待たされた挙句、門前払いを食らいました。
怒りもこみあげてきたのですが、自分で専門の病院を見つけて受診しようと思っていたので意外と冷静になれました。取り出した筋肉を検査に出したのが国立精神・神経研究センターだと聞いていて、そこには自分のデータがあることがわかっていたので、「だったら直接行ってやろう」と今回もまた紹介状なしで国立精神・神経研究センター病院を受診したのです。紹介状がないので初診料がかなり高かったのですがそんなことは言っていられませんよね。ただ残念なのは大学病院でやった検査データが何もないという事でした。皆さん病院は定期的に受診してカルテだけは確保しておきましょう。
そして国立精神・神経研究センター病院で良い先生(筋ジストロフィーの専門医)に診て頂く事が出来、色々アドバイスをもらいながら今日に至っています。
自分の目標は「自力で歩くこと」だけです。そのために情報を集め色々なことを実践してきました。医学的に治ればよいのですが筋ジストロフィーは今現在治療法も治療薬もありませんから、ただ筋肉がなくなっていくのを黙ってみていることが悔しくて抗っているといった方が良いかもしれません。
そんな訳で毎年誕生日が来るたびに「あと10年頑張る」と誓いを立てています。その積み重ねで19年やってきました。今年もまた「あと10年頑張ろう」と心に誓いました。
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